他人と比べない生き方

ひとりごと

小学校の運動会。
ハチマキがずれ落ちそうになりながら、僕はリレーのアンカーを全力で走っていました。
ゴールまであと数歩。
でも、その瞬間、同級生のS君が僕を追い抜き、テープを切っていきました。

「あと少しだったのに…」
小さな胸に、悔しさがじわっと広がっていく。
ゴールの向こうで、先生や家族が笑顔で拍手してくれているのに、
僕は笑うことができませんでした。

あの日から、僕は何かにつけて人と比べるようになりました。
テストの点数、部活での成績、友達の数。
社会人になってからは、給料、持ち物、暮らしぶり。
比べて、勝てば安心し、負ければ落ち込み…。
いつの間にか、心は疲れきっていました。

ある夜、ふと鏡の中の自分と目が合いました。
「本当に欲しかったのは、人より上に立つことじゃなかったんじゃない?」
その瞬間、涙がひとすじ頬を伝いました。
比べることをやめたら、僕はもっと自由で、もっと幸せになれるかもしれない――。


比べることをやめた先にある幸せ

僕たちは、物心ついた頃から「競争」の中にいました。ずっと他人と比較をして育ってきました。僕たちの親世代もそうです。祖父母世代もそうです。ずっと人類は他人との比較で、競い合ってきました。学校では成績や運動能力、家庭では兄弟姉妹との比較、社会に出れば年収や肩書き。
まるで「比べること」が当たり前の空気の中で育ってきたように思います。

この少年は親からの期待一手に背負って、育てられました。他人に勝つことによって自分の価値を表現しようとしました。 運動会で1位になると母親が喜んでくれます。テストで良い成績を取ると父親が褒めてくれます。そのうち何かを達成した自分には価値がある。この何かを「doing」と言います。何かを達成していない自分には価値がない。そう思うようになります。

doingからbeingへ

この習慣は知らず知らずのうちに、自分の心をすり減らしてしまいます。
比べる相手が自分より上なら、劣等感に苦しみ、
下なら一時的な優越感に浸っても、やがて不安に変わります。

現代人の一番の悩みはこの疲弊した心の問題です。

では、もし「他人との比較」から降りたらどうでしょうか?
その瞬間から、人生はまったく違う景色を見せ始めます。

・昨日の自分より、少しだけ成長できたことを素直に喜べる
・人の成功を心から祝える
・足りないものより、すでにあるものに感謝できる

比べないことで、自分のペース、自分のリズム、自分だけの物差しを取り戻すことができます。
それは、外から押しつけられた「幸せの形」ではなく、あなた自身が選び取った「本当の幸せ」です。

人は生まれて来るだけで価値があります。価値があるから生まれて来るのです。

個人の存在価値を「being」と言います。あなたは居るだけでいいんです。

人生はマラソンではなく、それぞれが違う目的地に向かう旅。
となりを走る人のスピードや道のりを気にせず、
自分だけの道を一歩一歩、楽しんで進んでいきましょう。

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